プロフェッショナル 仕事の流儀/真実のSMAP
長期密着ドキュメントやってた。
中国・北京のライヴ・ドキュがメインだったけど、過去の貴重映像も、貴重なコメントもあって良かった。
CMが入らないから編集無しで保存できるし。
NHKだから、買ったDVDのような感じ(リッチ感が)だった。
被災地を回った時のドキュ。
被災地の小学生達を前にコンサート。
中居「稲垣くんのどこが嫌いですか?」と聞いてる中居くん。
「髪の毛」と答える男の子。
稲垣「髪の毛ダメ?」と優しく聞く稲垣くん。
香取「それ絶対言っちゃダメ〜」と手で×をする、さらに「もう1か月くらい、へこんじゃいますよ」
あとは、中居くんが1人の男の子に「君は何で、香取くんが好き?って言ったら手をあげなかったんですか?」と聞いたら、
「あの〜みんなかっこ良くて選ぶのが大変…」と言い終わらない内、ギュッと抱きしめたり、ラブリーな子たちだった。
歌を歌ったり、全員にメンバーが握手したり。
それぞれのVTRが流れ5人の紹介がナレーションで。
木村くんの「南極大陸」撮影(TBS)風景。
中居くんの「ビストロ等のバラエティ」風景。
稲垣くんは「泣き虫 なまいき 石川啄木」舞台稽古風景。
草磲くんは「あなたへ」(高倉健主演)映画の撮影風景。
香取くんは「こちら葛飾区亀有公園前派出所THE MOVIE」の映像が。
そしてSMAP5人の「SMAPファンミーティング2011」風景。
きゃぁ〜〜〜〜〜あ、スマスマの『昭和時代』も流れてたよ。中居しゃん〜〜!
大規模なコンサート風景も流れてた。
こだわりについて。
スマスマ本番前の彼等を密着したんだね、フジテレビに入って。
本番前はほとんど喋らないという中居くん。
中居くんが煙草を吹かしている場面。
SMAPぐらいの大人になったら完全にOKなんだね。
(ジャニーズはカメラの前では大人でも吸っちゃいけないって思ってました)
木村くんは中居くんとは対照的に、自分の楽屋に入らずスタッフとコミュニケーションをとってるという。
「現場が楽しくなければ面白いものは生まれない」
その場の雰囲気作りを大切にしているようだ。
SMAPの中で、他のメンバーと最も喋るのは、稲垣くんだという。
「僕は結構、中間管理職的な存在なので、年も真ん中ですし、気はつかっていると思うんですけど」と。
稲垣「僕の役割?」
木村「僕の唯一の話し相手」
そのあと、2人で大きな照れ笑い。
木村「僕の唯一の・・・踊りまちがえている事を「おまえふざけんなよ」って普通に言えるのがこいつです」
いいね〜。
コンサート前だね。バランスボールでおどけながら遊んでる草磲くん。
「まぁ、ムードメーカーですかね、自分で言ってるいるという」
SMAPの癒し系なのであろう。
香取くんはSMAPのコンサートの演出なんかも担当しているんだね。
コンサートの演出面で1人で突っ走ってしまっても、どこかでメンバーがストップをかけてくれる安心感があるようだ。
20年もやってきたベテランなのに、それぞれに、
木村「自分らは別にそんな、たいした事やってないから」
中居「僕はそんな本当に、そんなんじゃないですから…全然、あんまり僕を追っかけても、そんなに面白くないですよ、本当に」
稲垣「劣等感との戦いみたいな意外とそういうのはありますよ」
稲垣「踊りだけだったら本当にプロのダンサーもいるわけだし、お芝居だって、それだけを一本でやってる人には僕らかなわないので、じゃ何がっていったら、それでも下手でもやっぱり一生懸命頑張るしかないのかなっていうか、だから常にそこは全力で頑張っているところを見せていかなきゃなと思いますけどね」
8月25日:北京コンサートの初リハーサル。
北京コンサートのきっかけになる会見ニュースの模様も流れた。
みんな、リハなのに真剣な緊張した顔。
ダンスの練習やら、国の文化の違いでの振りつけの修正など、色々。
海外での演出って面倒なのね。
中居くん、リハの大部分、前髪をピンで止めてた〜〜。なんか笑えた。
コンサートを作り上げるミーティングを見るのって楽しいね。
デビュー当時の映像も貴重でしたね〜。
1991年9月、雨の西武園ゆうえんち。
ずぶ濡れのステージで飛沫を飛ばして踊るSMAP。健気だ。
結成はデビュー3年前の1988年。
その頃の「明星」の6人はまだ少年。香取くんに関してはお子ちゃま。
デビュー当時はCDも売れなかったんだね。ガラガラの客席でのコンサート。
歌番組が次々と消えた時代だった。
そしてジャニーズ色を変えた、バラエティへの進出。
音松なんて映像、NHKさん借りて来たのか〜!
木村「(赤いバラを持って)赤松」(音 赤松)きゃ〜〜、凄過ぎる。
木村くん、音松の格好で中居くん(青松)と、晴れ着姿で成人式を迎える人たちの行き交う場所で、ロケをしていたことが今でも印象的な思い出として残っているようだ。
それでも誰も「やらない!」とは言わなかった。
そして森くんの脱退。
SMAPにはダメージだったらしい。
でも、森くんの決意は誰も止められなかった。
森くんの希望で断髪式みたいなのもやったという。
中居くんは「死ぬほど寂しかったね」と語った。
今でも、「戻ってきてくんないのかなぁ〜」って思ったりすることがあるらしい。
5人で我武者羅に頑張ってきたSMAP。
個性を出すために、ドラマ・映画・舞台・バラエティと貪欲にこなしいく。
中居「『成功』は保証されてませんけど、『成長』は必ず保証されていると思って」
大きくなっていくSMAP、その間にはメンバーそれぞれに葛藤があったという。
木村くんは、女子高生に「キムタク」って言われた時にわりとイラッとしてたり、自分自身を・・・決めつけられるような気がして嫌だったとか。
香取くんは、戸惑い、重圧を受け止められなかったという。走り続けるのは間違いじゃないけど、何の為に走るのかと。
稲垣くんは、道路交通法違反で半年、謹慎した時の事を語ってた。「その半年間って芸能界で生活している時の3年間分くらいに感じましたよ、本当に申し訳ないという気持ちもいっぱいあったし、焦りもあったけれど、でもそれ以上に、なんか本当に離れていって客観的に見て自分が普通の無の人間になっていくっていうのがスゴく感じられましてね、日に日に。戻った時にすごくどうやっていいのか分からなくて結構迷いましたけどね」
草磲くんもお酒で逮捕された頃を語ってた。「本当に迷惑かけてしまって、ひと月謹慎してて、その時に自分の責任だとか、仕事に対してとか・・・仕事に対しての責任だとか、あとSMAPっていうグループに対しての気持ちだとか、そういう大きさだとか重みとかそういうのがなんか、分かってはいたつもりなんですけど、スゴく改めて感じた日々でしたね」
北京の3日間ドキュ。
スタジアムでの確認。
問題点の修正やら調整やらいろいろ出てきて大変そうだった。
香取くんがステージングしていた。
休む間もなく取材や会見。国賓並み扱いでおもてなしを受けるSMAP。
それらが終わるとスタジアムでリハ。
リン・チーリンさんもリハに居て豪華だった。
突然の豪雨で通しのリハができず「早がえのみ」のリハで、そして翌日本番。
屋根のないスタジアムは野外と同様て、天候に左右されてしまうから大変だよね。
会場にはうちわをもったファンがぞろぞろ。
やっぱ、木村くんが多かった。私が見た感じですので。
北京コンサート、日本から行った人も居たんでしょうね。
中国語で挨拶するSMAP、私は中国語が分からないので何とも言えませんが。
どうなんでしょう?
イリュージョンでは、木村くんからリン・チーリンさんに変身。
中国側の進行役の人に木村くん「ファンの皆さんに投げキッスをしてもらえませんか?」なんて言われちゃうし。
木村「(中国語で)みなさん、愛しています」と投げキッス。
中居くんが震災の復興支援などのお礼を述べてそのお返しにと。
♪ 世界に一つだけの花(中国語バージョン)
中盤で土砂降りになるスタジアム
草磲くん、床が雨で濡れててハンパないのに凄い数のバク転。さすがね。
プロフフェッショナルとは、
中居くん(^▽^)
「一流の素人ですね。ま、一流の二流みたいな、うん、最高の二番手みたいなものが、自分には合ってるのかなって」
木村くん(o'ー'o)
「前戦から逃げない人。うん、最前線から。前に進み続ける限り(頷きながら)前線にはいられるから(さらに深く頷き)いたいなぁと思う。風当たりが強いけど」と笑った。
稲垣くん(*゚ヮ゚*)
「こう、あえて人を否定することもなく、そして自分に与えられた仕事をちゃんと責任を持って、うん、その仕事の持っているメッセージというものを人に伝えていく、という事なんじゃないのかなと思います」
草磲くん (^∀^)
「チームワーク、仲間を大切にする人だと思います。自分の力以上のものを出すには、 やっぱり仲間だとかチームワークを大事にするというのが僕はプロフェッショナルなんじゃないかなと思います」
香取くん(*^▽^*)
「明日を生きる人。今を生きるのはもちろんですけど、一歩二歩先へ明日を生きる。 振り返りません、僕らは」
NHKのドキュメントはいいね。
- 日本のダンスヴォーカルグループで、ジャニーズを代表するアイドルグループ。グループ名SMAPは、「Sports Music Assemble People」の略で、ジャニーズ事務所の社長のジャニー喜多川が命名。 1991年、シングル『Can’t Stop!! -LOVING-』でデビュー。同曲で『.. 続きを読む
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